FUKUFUKU LIFE INTERVIEW!
【プロフィール】
田中製紙工業所
田中 良子さん(Tanaka Ryoko) 27歳/福知山市大江町在住/福知山市出身 Uターン
福知山市大江町で生まれ育ち、高校卒業後は兵庫県の大学へ進学。大学卒業後に京都府北部の企業に就職したが、2020年2月より、江戸時代から続く丹後和紙の職人になるための修行を始める。「代々大切に守ってきた伝統を守りつつ、時代のニーズにあった和紙のあり方も追及したい」とにっこりとほほ笑む若い和紙職人のたまごを取材した。
地元に戻ってきたきっかけは、学生時代に大好きな祖父母が病気になったこと。この先どれだけ一緒に過ごせるかと考えた時に地元に戻ろうと決意した。
福知山市は、京都市や神戸市などの都会と比べて人と人との距離が近く、人の温かさが感じられ、安心できるまちだと外に出て改めて気づいたそうだ。
最初に勤めた地元企業で、たくさんの素敵な人に出会い、多くの学びを得た。人事部など経営者に近い部署で働く中で、社会人としての基礎を教え込んでもらい、経営者の視点で物事を考えられるようになったことは、現在の仕事にも特に役に立っている。
▲元伊勢内宮皇大神社 高校時代に巫女のアルバイトをしていた
良子さんは、2020年2月に地元企業を退職し、田中製紙工業所に就職した。子どもの頃から、丹後和紙は身近な存在で職人たちが和紙をすいている姿を見て育った。
もともと大江町は江戸時代末期から明治にかけて紙漉きが盛んな地域であった。最盛期には200戸余りの製紙所があったが、時代の変遷とともに減少し、現在、この地で紙漉きを生業としているのはこの田中製紙工業所のみである。
良子さんは、地元で江戸時代から続く丹後和紙の伝統を途絶えさせてはならないという思いから、丹後和紙の職人になることを決めた。
丹後和紙には大きな特徴がある。全国的にも和紙の原料を外国からの輸入に頼るところも多い中、丹後和紙では、原材料である楮(こうぞ)の栽培から加工、販売まですべての行程を自分たちだけで行っている。この土地で育った原料である楮(こうぞ)と元伊勢内宮皇大神社の近くを流れる清らかな水を使い、この地の気候風土と地元の職人の技術でつくり上げる。これほどサステナブルな和紙は他にはないかもしれない。
丹後和紙ができるまでの作業工程は、ほとんどが手作業で手間がかかり、重労働でもある。決して楽な仕事ではないが、良子さんは、「『田中さんの和紙でないと』とおっしゃってくださる方のために心を込めて製作をしている」と語ってくれた。丹後和紙は、丹波漆や藍染めとならぶ福知山市の伝統産業であり、その美しさと技術力の高さから国内だけでなく海外からも高い評価を得ている。丹後和紙は、伝統的な建築物や美術品の修復に使用されるだけでなく、最近では舞鶴港に寄港するクルーズ船のエクスカーション先として採用されたこともある。
良子さんは、現在、楮(こうぞ)の皮をはぐなどの和紙づくりの下ごしらえを中心に和紙づくりの技術を学んでいる。
▲和紙の原料となる楮(こうぞ) 原料を自ら育てることから丹後和紙の製作は始まる
▲楮(こうぞ)を加工する様子 ひとつひとつ心を込めて丁寧に作業を行っている。
和紙職人としての今後の目標について、「この土地が守ってきた丹後和紙の伝統を語り継げるような職人になれるように修行していきたい」と語る一方、「和紙の在り方も時代とともに変化させる必要がある。時代のニーズに合わせて商品をつくっていく必要があり、周りと相談しながら、現代の生活に調和する新しい和紙の在り方についても探求を続けていきたい。」と意欲的だ。
田中製紙工業所には、良子さんが考案した可愛らしい製品が並んでいる。良子さんは、女性ならではの若い感性を発揮し、地元のデザイナーと商品をつくるなどの取組も少しずつ進めているとのこと。和紙職人としてのキャリアをスタートさせた良子さんが、福知山市の魅力を世界に発信してくれる日が待ち遠しい。
▲丹後和紙のしおり 良子さんが地元のデザイナーと相談しながら製作した
田中製紙工業所
住所:〒620-0324 福知山市大江町二俣1321
電話:0773-56-0743