FUKUFUKU LIFE INTERVIEW!
【プロフィール】
奥藤 晋平(Okuto Shinpei)さん(写真右)/33歳/福知山市出身/福知山市在住
奥藤さんは福知山市出身。大阪の大学へ進学してそのまま高校教諭になった後、5年前に福知山市へUターンしました。子どもの頃は都会志向で福知山から出たかったという奥藤さんが、なぜ都会から福知山市へ帰ってきたのか。その理由を取材しました。
福知山市で生まれた奥藤さんは、高校3年生までの18年間を福知山で過ごしました。その時の福知山市への印象は「田舎」。福知山市の中でもまちなか出身の奥藤さんですが、早く都会へ出たいという思いが強かったといいます。そんな奥藤さんは大学進学を機に大阪へ移りました。大学卒業後は高校教諭となり、大阪の学校で教鞭をとっていました。
転機となったのは8年前。高校の1年・2年・3年の担任を終えた時、受験した京都府の教員試験に合格しました。地元に戻る最後のチャンスだと考えた奥藤さんは、先輩の先生からの後押しもあり京都府へ帰ることになります。その時の移住先となったのは、福知山の北に位置する京丹後市でした。京丹後市での生活は3年ほどでしたが、そこで暮らす中で奥藤さんに心境の変化がありました。今まで「田舎」だと思っていた福知山市が、ただ田舎なだけでなく、京都府北部の周辺市町と比較して「街」だと感じるようになったのです。
福知山の魅力は、いろいろなものがほどよく揃っているところ。福知山から離れて初めて、その良さに気づきました。もちろん都会にしかないものはありますが、どうすれば生活が豊かになるか考えた結果、最終的に福知山市に落ち着いたそうです。現在では再び福知山市のまちなかに家を構え、府内の高校で英語を教えています。
△12月4日開催の「Uターン経験者に聞く 福知山の暮らしとは?」で自身のUターン経緯を語る奥藤さん
奥藤さんには1歳半になる娘さんがいます。平日は朝早く、帰宅も遅い関係上、帰った時には子どもが寝ていることもあるという奥藤さん。しかし土日のいずれかは家にいて子どもと過ごす時間を作るようにしています。晴れた日は近くの公園で遊び、時には近隣市町へ出かけたりショッピングをすることもあるといいます。普段よく行く公園の三段池公園や市ノ谷公園は、市街地から少し離れた場所にある自然豊かな公園です。まちなかでは生活に必要なものがそろい、すぐ近くに自然があり、少し車を走らせれば周辺市町へのアクセスも良い。すべてがほどよく揃っているところは、子育てをする上でも助かっています。それに加えて、市内に私立公立合わせて高校が7つあり進学の選択肢が多いことも、高校で教員をする奥藤さんから見て福知山が「なんでも程よく揃っている」と感じる要因の一つです。
また福知山には奥藤さんのご両親が住んでおり、困ったときに頼れる人が近くにいることが、地元で子育てをする一番の利点だといいます。それだけでなく子育て支援施設の「すくすくひろば」を利用したり、保育園から子どもの様子がメッセージで送られてくるアプリが活用されているなど、安心して子育てができる環境が福知山には整っているといいます。
△インタビューに答える奥藤さん。移住に対する自身の思いを語った
奥藤さんにとってUターンの転機となったのは、子どもの頃とは異なる視点で地元について考えたときでした。大阪からいきなり福知山へ帰っても、また都会が恋しくなっていただろうと奥藤さんは語ります。しかし一度京丹後市を経由し、改めて外の視点から福知山を見ることがUターンにつながりました。「一度海外で生活をすると日本の良さに気づくように、地元についても一度外に出てみると視点が変わり、その良さを見つけることができる。」奥藤さんは自身の留学経験をもとにそう語ります。子どもの頃と大人になってからでは、自身を取り巻く環境や考え方も変わり、その時故郷に目を向けることで、今まで見えてこなかった地元の魅力の発見につながります。奥藤さんはそこで地元に帰ろうと思い立ったことで、Uターンに至りました。大阪では多少無理をして生活していた面もあり、奥藤さんにとって自分が自分らしくいられる場所が、地元であり福知山なのです。
またUターンはタイミングが重要だとも奥藤さんはいいます。生活基盤ができてしまうとそこからの移住は難しくなるので、定住する場所を決める前に、地元へ帰る機会に出会うという2つの要素がぴったり当てはまるタイミングこそ、Uターンに最適な時期なのだそうです。
今後は子育てを中心に生活していきたいという奥藤さん。子どもと一緒に何かをやり遂げたいと語ります。生まれ育ったまち福知山で、奥藤さんの子育て生活は始まったばかりです。